読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

SAN ANTONIO SPURS ONLY

スパーズファンのブログです。Twitterもやってます。rei(@sareim9)

デッドモンのバスケットボールキャリアと忍耐

バスケットボールを始めたのが遅いことで有名なデッドモンですが、彼のバスケットボールキャリアについての興味深い記事があったので、また拙い要訳意訳ですが紹介します。

www.expressnews.com


彼女の名前はゲイル・ルイス。シングルマザーとして、ルイスは、ディウェインとその姉であるサブリナとマリーナという3人の子どもたちにとって何をすべきかをいつも考えていました。デッドモンの父親は縁を切り、子育ての方法を知っているルイスに親権を託していました。

 

敬虔なエホバの証人であるルイスは、子どもたちを火曜日と木曜日に聖書研究に、日曜日には2時間の集会に、土曜日は布教活動に連れて行っていました。初めは、デッドモンは宗教教育に逆らうことはなく、聖書を勤勉に学習しました。しかし高校に入った時、聖書のある一節が家庭内での衝突を引き起こし始めました。

 

"No man can serve two masters."(人は二人の主人に兼ね仕えることはできない) というイエスの言葉がマタイによる福音書に記されています。ルイスにとってそれは授業以外の課外活動は禁じられているという解釈でした。

 

デッドモンは子どもの頃から常にその年齢にしては背が高く、バスケットボールに至るのは自然な成り行きでした。友達もいつも彼にプレーさせようとしていましたし、あらゆるコーチたちからチームに入るように促されてきました。

デッドモン「母親がそうさせなかったんだ。」

 

2007年8月12日、スパーズがキャバリアーズをスウィープして優勝した2ヶ月後、デッドモンは18歳になりました。その時、彼は大人としての初めての決断をします。彼はランカスター高校の3年生の時にようやくバスケットボールをプレーすることを希望しました。母親は依然として賛成していませんでしたが、今回は何も言いませんでした。そして、デッドモンは自分の手で書類にサインしました。

 

デッドモンはそのシーズン、大した結果を残したわけではありません。

デッドモン「たぶん1試合で30秒くらいしか出てなかったよ。」

高校卒業後、ルイスは息子にランカスター高校の近くのアンテロープ・バレー大学への進学を促しました。彼女は彼に水処理の講義を受けさせようとしましたが、彼は水処理関係の職業についてあまり知りませんでした。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ジュニアカレッジ(2年制大学)のバスケットボールチームのコーチであることは、他のあらゆるバスケットボールチームのコーチと変わりはありません。戦術のことを知らなければならないし、練習の仕方や試合の運び方など、全てのことを熟知しなければなりません。カリフォルニアの奥地にあるジュニアカレッジでコーチを務めてきたディーター・ホートンは、14年間であらゆることを学んできました。

 

有名な4年制大学とは違い、ジュニアカレッジのコーチであることは、ビッグフットハンターのようなものです。キリンのような高さで、カンガルーのような跳躍力を持ち、ラリー・バードのようなシュートタッチを兼ね備えるという架空のような選手をいつも探し求めます。決してそんなうまい話はありませんが。

 

2008年4月、ホートンはカリフォルニア州ランカスターにあるアンテロープ・バレー大学でコーチをしていました。

ホートン「地元の高校で6'8"フィートの少年がいるとの噂があったけど、私は見たことがなかったし、彼は学校のチームでもプレーしていなかったんだ。」

コーチはそのビッグフットのことを調べていると、それが伝わったのか、ビッグフットは自分の元に会いに来てくれたのです。

 

アンテロープバレーの体育館の観客席に座っていたその少年は、細い手足でまだ完成されてない身体つきをしていました。ホートンは彼を見たことがありませんでした。そして、その少年は立ち上がって言いました。

「僕はディウェイン・デッドモン。あなたのチームでバスケットボールがしたいんだ。」

 

今となっては、サンアントニオのファンはその名前を良く知っていますが、アンテロープバレーでのあの日、デッドモンはホートンがこれまで見てきた他の18歳の少年たちと何ら変わらない顔つきをしていました。

デッドモン「僕は水処理の講義を受けるためにアンテロープバレー大学にいたんだ。そこにいる間に、バスケットボールをできるかもしれないとも思っていたよ。」

 

ホートンはアンテロープバレーでの初めてのワークアウトで既にデッドモンのポテンシャルを見出していたと言いたいでしょうが、それでは嘘になります。ホートンが彼に課した最初の練習はマイカンドリルと呼ばれるものでした。中学校の練習として長年定番であり、バスケットの下で左右の手で交互にレイアップをするというものです。(※参考動画貼っときます→Mikan Drill Progression Series)デッドモンはそれを聞いたこともありませんでした。

ホートン「初めはボールがバックボードの下に当たっていたよ。でも4,5分で掴めてきたようで、10分もすれば完璧にこなしていたけどね。」

ワークアウトを進めるにつれて、ホートンは新入生の中でも何か特別なものを感じるようになりました。

ホートン「彼は何かを証明するかのようにプレーしていたんだ。少しのワークアウトでも、彼は努力を怠らなかったよ。」

 

最初のワークアウトを見て、ホートンは18歳のデッドモンがジュニアカレッジレベルですぐにプレーできないことは知っていました。しかし、コーチはデッドモンを見捨てることもありませんでした。彼の純粋さやひたむきな姿勢は認められていたのです。

 

ホートンはデッドモンにグレーのシャツを渡しました。このグレーシャツは1年間大学で講義を受けて良い成績を維持していれば、チームの練習に参加できるということを意味します。(※グレーシャツとはパートタイム生徒として1年間チームに参加しない選手のことで、次の年から奨学金を貰いフルタイム生徒としてチームに参加し試合の出場資格も得ることができます。詳しくはこちらの記事で。)

 

グレーシャツにデッドモンは困惑していました。そこでホートンはジュニアカレッジとディビジョン1の大学との違いなど、カレッジバスケットボールについて説明しました。デッドモンは何も知らなかったのです。

 

最初のワークアウトの翌日、ほとんどの子どもたちが中学までに習うような基礎から始まりました。ピボット、ドロップステップ、ボックスアウトなどのことです。ホートンはデッドモンのジャンプショットも矯正し、アウトサイドから打つことも禁じました。何も知らなかったデッドモンはホートンにとって悪夢でしたが、ある意味では悪い癖がついていない夢のような存在でもありました。

 

1シーズン通して、デッドモンはマラウダーズ(アンテロープバレー大のチーム名)の練習生として過ごしました。デッドモンはまだまだ未熟で、試合の基本的なことでさえ彼にとっては新しく学ぶことばかりでしたが、なにか光るものがありました。

ホートン「信じられないほどの熱量だったよ。彼はリングを壊すかのようなダンクを毎回するし、練習でも何でも率先して自分がやろうとしていたんだ。」

 

マラウダーズのロスターにはNCAAディビジョン1のチームが目をつけるキーショーン・リードという身体能力の優れたダンカーがいました。リードは6'6''フィートのサイズで、助走なしにバックボードの上まで届くような選手です。

 

ある日、ホートンは課題を与えました。もしリードがデッドモンの上からダンクを決めれば練習を止めて休みにするというものです。結果、マラウダーズはその日全ての練習をすることになりました。

ホートン「たくさんの空中戦があったけど、デッドモンはダンクをさせなかったよ。」

 

デッドモンのエナジーはチームの雰囲気を変えました。チームメイトはそのエナジーに引きつけられたのです。

ホートン「6'10''フィートもの大きな少年が今まで見たこともないくらいハードにプレーしているのを目の当たりにして、みんな彼をリスペクトしていたよ。」

 

翌年の夏、ホートンはショーケーストーナメントを開催するためにUSC(南カリフォルニア大学)のガレンセンターというアリーナを借りました。カリフォルニアのジュニアカレッジ選手を集め、ディビジョン1のスカウトに見に来てもらうという目的のものでした。

 

ついに実際の試合に出ることになったデッドモンは夢中でプレーしました。

ホートン「ショットをブロックし、チャージングをとり、フロアにダイブし、スタンドに飛び込む。彼はそんなプレーが好きなんだ。」

駆けつけたスカウトたちはこの最新のビッグフットに目をつけました。

ホートン「アフリカから来たんじゃないかという噂も流れてたよ。だから私は言ったんだ、その少年は体育館を歩いていただけだよってね。」

デッドモンはまだ公式戦でプレーしていませんでしたが、彼に対する評価は上昇していきました。

 

2009年の秋、デッドモンはついにマラウダーズでプレーすることを認められました。彼は19年間溜め込んだ感情をコートに開放する準備は出来ていましたが、ひとつ問題がありました。

ホートン「彼はハーフタイムで3ファールまでに抑えることができなかったんだ。フィジカルにいけとは言ったけど、やりすぎだったよ。」

 

1月までに、デッドモンは実力を発揮し始めました。デッドモンは7フィート近くまで成長し、少なくともメジャーな大学で戦力になりそうにも見えました。しかしある日、事故が起こりました。

 

シーズン後半の試合で、デッドモンがリバウンドを取ろうとした時に相手選手の肘が頭に当たってしまいました。ホートンはデッドモンをコートから下げ、トレーナーに見てもらいましたが、彼は大丈夫そうに見えました。その時だれもデッドモンの白いヘッドバンドの下を調べようとはしませんでした。

 

デッドモンはコートに戻りましたがすぐにミスをしました。プレーブックを理解しているはずのデッドモンが何も実行できなくなったのです。ホートンは再びデッドモンを下げ、今度はヘッドバンドを外しました。

ホートン「彼の頭がディボット(ゴルフのスイングで掘られた芝)のようになっていたんだ。頭蓋骨が凹んでいたよ。」

診断結果は前頭洞の骨折でした。

デッドモン「コートに戻った時、2,3回のポゼッションをプレーしたけど、あぁ、これはダメだと思ったね。」

 

こうしてデッドモンのバスケットボールキャリアはまた足止めとなりました。彼はシーズンの残りを欠場し、ポストシーズントーナメントで復帰しましたが、まだ完治はしていませんでした。

ホートン「彼はジュニアカレッジでの最後の試合をホッケーのマスクを着てプレーしていたよ。」

 

デッドモンはリクルートの手紙が届くまで、その後の人生についてあまり考えていませんでした。そして、最初にカリフォルニア州立大学フレズノ校からのリクルートがきましたが、彼は聞いたこともありませんでした。

ホートン「彼の家庭ではテレビを見なかったから、フレズノUCLAも何も違いが分からなかったんだ。」

 

その後、USCからもオファーがありました。当時のUSCトロージャンズのコーチ、ケビン・オニールはデッドモンのNBAへの可能性について初めて言及した人でもあります。アンテロープバレーの後はバスケットボールをプレーすることをあまり考えていませんでしたが、USCからのオファーはデッドモンの興味を惹きました。

デッドモン「リクルートを受けるまではカレッジに行くことは本当に自分の計画の中になかったよ。」

 

2011年春、デッドモンはUSCに編入し、その時には既にホートンはオニールの下でアシスタントコーチになっていました。デッドモンは2年生としての出場資格を維持するために、最初の学期を練習生として過ごしました。2ヶ月間、彼の主な仕事はトロージャンズのセンターで将来のNBAプレイヤーであるニコラ・ブチェビッチの練習相手をすることでした。

ブチェビッチ「練習でたくさん戦ったよ。彼はすごいエナジーを持ってプレーすることもよく知ってる。」

デッドモンはUSCで2シーズンプレーしましたが、あまり印象に残る選手ではありませんでした。しかし、3年生でドラフトにエントリーしました。

 

結局、彼はドラフトされませんでした。それでバスケットボールキャリアに終止符を打つことも考えるかもしれませんが、デッドモンは決してそう考えることはありませんでした。

 

2013-14年シーズン、デッドモンはウォリアーズやシクサーズとの10日間契約を結びましたが本契約には至りませんでした。しかし、その後ようやくマジックと複数年契約を結びました。

 

2014-15年シーズン終盤、ジャック・ヴォーンHCを解雇したマジックはジェームズ・ボレゴを代理HCに据えました。ボレゴはシーズン最後の17試合のうち15試合でデッドモンをスターターとして起用しました。ボレゴはデッドモンがチームディフェンスを劇的に向上させることに気づいていたのです。

ボレゴ「彼は試合をディフェンシブに変えてくれるんだ。でもまだ若くて未熟だから学び続けているよ。彼はピック&ロールのことも学ぶ必要があるね。」

今ではボレゴはポポビッチの下でアシスタントコーチを務めています。昨年の夏、スパーズが安価なビッグマンを探していた時、デッドモンを推したのもボレゴでした。

 

現在スパーズでの最初のシーズンですが、マジックにいたときのようにデッドモンがスターターを務めるとスパーズディフェンスは向上しました。

ミルズ「彼はスターターにダイナミックさをもたらしたよ。それがエナジーや情熱の面でチームにとって良いことなんだ。」

デッドモンの2年契約は$5.9milという比較的安価なもので、2年目はプレイヤーオプションとなっています。仮にオプトアウトすると、デッドモンは今年のFAの市場で欠かせない存在になるでしょう。その場合、スパーズは彼を連れ戻すことが安易ではありません。

ポポビッチ「彼は若くて未熟だがよく試合のことを学んでいる。我々にとって重要な存在なんだ。」

 

デッドモンのキャリアが始まった南カリフォルニアから見ているホートンは、この活躍を見て笑顔にならずにはいられないでしょう。彼はカリフォルニア州立大学ロサンゼルス校で2年間HCを務めた後、現在コーチを休職しています。そして、ホートンはできる限りスパーズの試合を見ています。

 

ホートンは2008年にアンテロープバレーの体育館にいた大きくシャイな男のことを思い出します。

ホートン「自分の教え子たちの成功は本当に嬉しいよ。中でもディウェインは特別だね。彼はユニークで人を惹きつけるものがあったし、私たちは大好きだったんだ。」

他のジュニアカレッジのコーチと同じように、当時ホートンはNBAへの可能性を秘めた選手に出会うことを常に夢見ていました。そしてデッドモンはNBA選手となりました。これこそがビッグフットハンターのおもしろいところです。

 

デッドモン「正直言ってバスケットボールがなかったら僕は今何処にいるか分からない。この道があったことを嬉しく思うよ。」

 

 

www.si.com

こちらの2011年のSports Illustratedの記事も、宗教や母親のことについて特に詳しく書かれたデッドモンの生い立ちの記事なので興味があれば読んでみてください。